救急救命士としての抱負

 「心からの救命サービス」  救急医療ジャ-ナル( 1996.6月発行 NO.28)
 高岡市は、富山県西部に位置する人口17万5千人の小都市です。銅器・アルミ・薬品等の産業が盛んな上、昔から「商人の街」ということもあり、日中の人口は随分と膨れ上がるという特殊性を持っています。

 本市(3署)における救急出動は年間約 3,000件で、前年対比では、平均4%の増加傾向にあります。
 救急隊は5隊で運用され、4年前に救急救命士1人が誕生しました。それと同時に高規格救急車が配備され、今年2月には1台今年度中にもさらに1台が追加配備される予定となっています。

 私は、昨年11月に国家試験に合格し、本市で4人目の救急救命士となりました。
 率後の病院内研修は、市内4か所の2次救急医療施設において、各1週間の日程で実施させていただきました。いずれの病院も、救急医療には理解を示していただき、研修内容も、れぞれの病院の特徴を活かした実技指導や科別講習が用意されていたこともあって、とても充実しており、教科書で学ぶことができなっかた多くのものを得ることができました。
 病院内研修を受けたことによって、現場での対応に大きな自信を持つことができるようになりました。

  また、救急担当医や看護婦の方々と面識を持つこともでき、搬送時の申し送り等もスムーズに行えるようになって、お互いの信関係も構築されてきたように感じられます。

 さて、東京研修所での6か月間は、「基礎医学」や「救急医療」について多くのことを学び、医の奥深さを思い知らされた日々でした。その甲斐もあって、現場に帰ってからは、傷病者に接した際の対応に変化してきたという実感があります。

  さらに、「応急処置の『職人』なること」と、「一家に一人の応急手当修得者を育成すること」という、自分なりの「救急」に対する目標が、より一層固まってきたようにも思われます。
  ここで私の言う「職人」像とは、どのような疾病・外傷患者に対しても、即座に病態を把握することができ、それに応じた「こだわり」のある応急処置を適切、かつ迅速に行える人のことを指します。

  物事に対して一生懸命取り組むことは、すべてのことに共通することだと思いますが、一生懸命やるだけでは、「趣味」の領域にとどまってしまうと思います。そこで、それに妥協を許さない「こだわり」を加えることで、応急処置の職人として、趣味とは一線画することができると思うからです。

  もう一つの「一家に一人の応急手当修得者の養成を」という目標については、今さら言うまでもないことですが、過去の現場活動における経験で、応急手当の必要性を痛感させられたことから揚げたものです。

 なかでも、「早く来て!」と、マンションの階段で血相を変えて乳児を抱えていた母親の姿は、10年経った今でも忘れることができません。
 現場に到着した時点の状態は、乳児の口腔内にはミルク様の吐物が貯留し、CPA(心肺停止)状態となっていました。 即座に吐物を除去するとともに、CPR(心肺蘇生法)と酸素投与を実施しながら搬送した訳ですが、不幸にも4ケ月後に亡くなってしまうという結果に終わってしまいました。

  また、最近では、心臓疾患の病歴を持つ20歳の男性が急に倒れたという症例があります。
 結果は、やはり死亡ということになってしまいました。
 最初に彼を発見した父親は、通報するまで「約10分間も様子をみていた」ということです。
 これらの症例に加えて、多くの救急現場で遭遇した「今まで元気だったのに!・・・」と泣き崩れる家族の姿は、いつまでも脳裏から離れることはありません。

 いずれのケースを見てみも、救急隊が現場に到着するまでの間には、何ら処置が施されて いない状態でした。
 その現場で、せめて気道確保、あるいは、CPRが行われていたならば、多くの「尊い生命」が救われたのではないかと、いつも自問させられます。

 これから、私は救急救命士という立場で何千回、いや何万回と出動することになると思いますが、傷病者にしてみれば、それは一生に一度あるかなかかのことです。
 ですから、1回1回の出動を大切にして、傷病者を自分の家族と思い、「こだわり」を持って、誠心誠意、最善を尽くして活動していかなければならないと考えています。

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